etd664’s diary

twitterとは別の、一時的な居場所。

twitterでの活動についてまとめ

 一週間ほど前から、食欲不振とともに胸がハカハカするので、これを機にtwitter上で言葉にしてダラダラ発信することを少し控えます。

 といっても何も発言しないわけではありません。twitterには毎日ログインするので好きな絵師さんやフォロワーさんのツイートをRT&ファボしたり、絵やツイートにメッセージを送ったりすると思います。どうしても叫んだり嘆きたいこともありますし、絵を描くことを続けていくなら進捗も投稿します。相変わらず「○○可愛い!!」「もう○○いなきゃ生きていけない……」などとツイートすることも。つまり何も変わらない可能性が……。

 逃げ道のある中途半端な書き方でごめんなさい!twitterのアカウントを作成して三ヶ月、やりたいことを今いちど捉え直したいだけです。

 下のほうで長々と書いていることは最後の段落にすべてを託しています。

 エレバスちゃんは可愛いので、絵なり描いてこれからたくさんたくさんお伝えしていきます。あわよくば、未だ停滞している小説・物語としても。今までは手段をはき違えていました。どうやってお伝えするのかを今いちど考え直して、twitterやpixivなどを続けていきます。今後ともよろしくお願いいたします。

 以下の長文は、何をはき違えていたのか、どうしてこういうことを書いたのかを、自分語りを含めながら延々と考えたものです。結論は出ませんでしたのでさして大切な内容ではありませんが、気味の悪い怪文書、病んだ人間による文だと思われる人もいるかと思うので、時間の無駄!イヤ!読みたくない!という人は読まないことをお願いします。

 ここまではひとまずの報告と、以下は反省です。

 

 

 

 

 

 

 

 twitterのアカウント(@etd664)を作る前までは2年くらいひたすら何も発せない黙狂人間みたいな状態になっていましたので、ここ一か月のうちに少しでも饒舌になれたのを心から喜んでいました。一方でそれまでの反動か、精神的な負担も馬鹿にできないほど大きかったようです。最近ひしと感じる、「何か、何か無理にでも言葉にしてファボを貰わないと動悸が......!」という久々に感じるツイ廃じみた承認欲求は、こうした負担に拍車をかける麻薬のような効果を私に与えていました。

 黙狂人間になる以前は別のアカウントでツイ廃生活をエンジョイしていましたが、ある時ぷつっと何かおかしくなり、言葉を発することを忌避するようになりました。その結果、声が出なくなったり、外に出るのも億劫になるなど実生活での支障が生じました。誰かに嫌なことをされて、何らかの影響を受けて、とかではなくいきなり訪れた自己完結的な虚無感です。そのアカウントを放棄したのは決して人間関係のもつれからではなく(とても親切な方々に囲まれていました)、私の歪んだ精神状態ゆえです。

 言葉にするという行為は、本当にこの内容で合っているのだろうか、自分の言いたいことが正確に反映されているだろうか、という風に絶えることなく自分と見つめ合うことです。この行為に潜んでいる、「自分の背中を見る自分、の背中を見る自分、の背中を見る自分...」という連鎖は、しばしば私に狂的な効果をもたらします。そして、もともと頭の出来が悪いので、こうした連鎖に耐えられず言語感覚が麻痺したりゲシュタルト崩壊したり……その末に、私は以前のアカウントを放棄したのだと思います。

 言葉にするという行為は、何かを定義づけること、あるいは茫漠としたものに輪郭を与え、そこに立ち込めている霧を晴らし、恐怖や不安を和らげる作用を持っているものだと考えています。「苦しいことは言葉にするだけで楽になる」というのは、言葉によって何が苦しいのかをあるていど定義づけるから、「ああ、なんだ……~~に過ぎないのかあ」とひとまず冷静になれる仕組みなんだと思います。
 しかし、あまり行き過ぎると輪郭は歪みはじめ、晴らさなくともいい霧をも晴らしてしまい、ときに幻滅という結果に至ることも事実です。言葉にして楽になることと、幻滅というのは表裏一体の関係だと思います。
 さらに行き過ぎると、輪郭の内側をどす黒く塗りつぶしてしまい、雨をざあざあ降らせて、目の前にある神秘的なものを汚したり喪わせたりする悲しい結果に至るおそれもあります。

 こういう点から、絵に表現された筆舌に尽くしがたい可愛さだとか美しさを感じ取ったら、それをわざわざ感想として言葉にするというのは、もしかしたら作者さんやファンからすると傍迷惑なことなのかも知れない、とか本当にくだらないことを考えていた時期がありました。
 自分が要らぬ言葉を漏らしてしまったために、もしかしたら誰かの感動を幻滅させてしまうんじゃないかという心配を抱いてしまう。つまり、言葉というのはまるで呪いなんじゃないかと。
 しかし私ははっきりと否定します。こんな考えは今すぐに否定します。
 たった2,3枚ではありますが、今まで私は未熟ながらも絵を投稿しました。そこに寄せられるコメントやいいねやRTに、私はわっと泣き出したほどに感激しました。あの感激を無下にすることはできません。私の作ったものに寄せられた好意をひねりつぶすような考えなんて、今すぐこの場でかなぐり捨てます。

 その反面、どうしても絵を尊重せず自分の意思を圧しつけて、他の人の感動を幻滅させてしまう言葉もあることを、私は自覚しなければなりません。

 そうした幻滅を呼びかける呪いのような言葉というのは、おそらく「批評」の嫌な部分です。あえて鍵括弧したのは、素敵な批評もあることを忘れたくないためです。私は、絵をわざわざ言葉にして「批評」するなんて離れ業は決してできないし、やろうとは思わない。いつまでもそこに描かれている可愛さ美しさの虜になって「好きッ!尊いッ!」とひたすらひたすら言っていたいです。

 ところがここ1ヶ月ほど、私はそんな思いをどこかに投げ捨てて、ひたすら絵やキャラクターについて、"感想"と自分に言い訳しながら言葉に言葉を重ねるという行為に耽溺していました。もちろん「批評」とも呼べません、ただの妄想です。考察にもなりません。幸い、それを作者さんに直接コメントするということまでは至りませんでしたが……言ってしまっていたのかしら。間接的には失礼なことをたくさん吐いていたのかもしれません。こうして断言できないのが情けないですが、思い当たることが多々あります。

 

 もちろんそういう人がいても別にいいと思うんです。twitterはそういう場所ですし、一人の消費者として作品を語るのが趣味の人はたくさんいます。あるいは小説を読んだり映画を観て、「あのシーンが良かった、この台詞がよかった。なんでかと言うとね……」と語ることは悪いことじゃなく、私からすると感動を噛みしめているように思えて素敵なことだと思います。

 私もその気持ちがわかります。どうしても言葉にせずにはいられないというのが正直なところで、「好きッ!尊いッ!」だけじゃ済まされない衝動が起きてしまう。何が好きなのか、どの部分に尊みを感じたのかをわざわざ言葉にして説明しようとする、そういう説明癖みたいなものが、そもそも私にはあったのかもしれません。お恥ずかしいことに、最近までそういう自覚をしていませんでした。

 とりわけ、あるキャラクターやそのイラスト・絵になると、それについて何か語るという行為はやっぱり何かデリケートな問題があることを認識しました。

 こうして扱っている問題は、何度も議論されたことだと思います。私は創作活動(一次・二次を問わず)の人たちと接するのは本当に初めてでまるっきり素人ですが、きっと、ここからここまでが駄目、あそこからあそこまでは良し!と明確に線引きできない、終わりのない迷路なんだと思います。本当に結論を出せません。

 言葉は人に気持ちを伝えるほかに、概念を操ったり観念を生み出す道具でもあるので、他者の個人的な領域へズカズカと踏み入ることも簡単にできてしまいます。言葉にするのは簡単でも、それを伝えるかどうかを決めるのはとても難しいものです。

 それらを恐れて言葉をまったく使わないことは不可能だし、むしろフォロワーさんから伝えられた言葉によって救われることなんて何度もありました。言葉は恐ろしいものであると同時に、必要なもので素晴らしいものです。

 ただ、「言葉を用いて語る」という行為に及ぶと、ちょっと厄介な問題に直面してしまうわけです。

 ここまで言葉の問題を中心に書いて来ましたが、もちろん非は言葉にあるのではなく私自身の使い方にあります。自分の首を絞めるようなこういう考えは私自身のなかだけで繰り返させておけばいいし、それには慣れているのですが、どこかに書き残しておかないと取り返しのつかないことに発展しそうなのでHatena Blogに場を設けて書いた次第です。

 まだまだ極小アカウントといえども、フォロワーさんが一人二人と増えてきているのはとても嬉しいことです。もしかしたら、万が一にも私の悪質な説明癖に惹かれた人もいたのかもしれませんが、これからは言葉として語りたい!説明したい!という欲をグッと方向転換させ、絵などの創作へと注いでいきたいと思います。どうしても言葉に頼らなければできない欲こそ、小説や物語にするなりして表現を模索していきます。

 これは私自身の問題なので、他の人に「~~しないで!」「~~は禁止!」と呼びかけるものでは断じてありません。誰かを責める気はまったくありません。今まで通りに接していただければ、本当に嬉しい限りなんです。泣いて歓迎します。ただ、私が今まで通りの妄想をこじらせていたらとても背負いきれない責任や感情が見えてしまい、今までのことを後悔しているとお伝えしたいまでです。こうした過去をtwitterだからいいでしょ、という理由で片付けず、私は私なりの矜持と苦い過去を持って少しずつ活動していきます。

 ヤマネノスカヤ@etd664 を立ち上げた契機は言うまでもなくエレバスです。本当に愛すべきキャラクターだと思います。彼女のおかげで色んな分野が輝いて見えて、水を得た魚みたいに色んなことを調べるようになりましたし、調べるスキルを身に着けることができました。だから最近はもう楽しくて仕方ないんです。その傍らでいささか腐れたことをツイートしていたのは恥ずかしい限りですが、これを忘れたい黒歴史に留めることなく、なんとか土台にして精進していければと思います。

 エレバスちゃんは可愛いので、絵なり描いてこれからたくさんたくさんお伝えしていきます!あわよくば、未だ停滞している小説・物語としても。今までは手段をはき違えていました。どうやってお伝えするのかを今いちど考え直して、twitterやpixivなどを続けていきます。今後ともよろしくお願いいたします。